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社会人としての刺激
大人の自覚が芽生える日、成人の日。
私共が住むこの松山では、コロナ対策により成人式が中止されました。
うちの長男も成人を迎え、本来ならば式に出席する予定のはずでしたが、今回の措置は非常に残念がっていました。
きっと成人式は、先輩の大人が、大人になろうとする子供たちを、祝福して今後の人生を応援する場であろうと思いますが、その式典を大人たちが実行できなかった今年は、残念で仕方ありません。
そして何より、地域で育った子供たちが再開できることのできる最後の場所なのかもしれない成人式の集いが失われた事は、今年成人を迎えた方達にとっては、大きな落とし物にもなるような気がいたします。
私も遠い昔の事ではありますが、成人の日の事は、はっきりと覚えています。
同じ地域で育った同級生が久々に顔を合わせ、自身の現況を語り合ったり、将来の展望を語り合ったり、その場では、みんな子供時代とは違った大人の顔が見え隠れする、再会の喜びだけではない、何とも言えない高揚感に包まれていたのを思い出します。
私自身、成人式での同級生との再会は、
「これから社会人として頑張らなければ、みんなにおいていかれてしまう」
という、今思えば焦りのような感情が芽生えました。
私は、元来マイペースで子供のころは将来の事を気にするような人間ではまったくなかったのですが、成人式で友人と再開した時、学生の頃は重く聞こえなかった友人の言葉が何故か重く聞こえたり、自分はこれからどうなって行くのだろうかと考えたりして、少しずつ「やりたい事・やるべき事・やらなければならない事」
を自問自答して行くきっかけになった場であったように思います。
そう思うと成人式は、大人に用意された場所で大人の話を聞く場ではなく、大人が用意した場所で、大人になろうとする子供同士が、再会を喜びあうだけでなく、同級生たちから、社会人としての刺激をもらい合う、最後の大切な場所のように思います。
その大切な、言い換えれば最後の自主学習の場を与えられなかった今年の新成人の方達には、その場を与えてもらった私達大人としては、何とも複雑な気がいたします。
当たり前に成人式を迎えられた私達大人には、コロナ対策だから成人式中止は仕方が無いといわれてしまった今年の新成人の気持ちは、心中計り知れないものがあります。
しかしながら新成人の皆さんには、逆境をバネにして、これからの人生、実り多きものとしてくださればと思います。
そして私達先輩の大人は、成人式が終わるとなかなか会う機会も減っていくものでしたが、今年の新成人の皆さんには、成人式に集えなかったということで、他の年代にはない自主的な繋がりを長く持ち、「特別な世代だよね!」と言い合いながら、末永く友人関係を育んでもらえればと思います。
最後になりましたが、新成人の皆さん。
大人への第一歩。おめでとうございます!