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正反合 「麒麟がくる」に思う

2021-02-08
麒麟がくる」の最終話、史実どおり「本能寺の変」でクライマックスを迎えました。
私自身、結末を知りながら最終話を見終えたのですが、「光秀」「信長」二人の関係性を一年間見てきた視聴者の一人として、とても切なく感じました。

室町幕府の衰退が招いた乱世を平和な世の中にするため、織田信長の考えた「正義」と
明智光秀が考えた「正義」。劇中で2人が共に使う「世を平らかにしたい」という共通の
言葉。しかし同じ志であったにもかかわらず、二人の考え方の違いは、日を追うごとに正反対なものになっていました。同じ事を成し遂げたいのに、まるで「正」と「反」、出来る事ならば、互いの良い部分「合」の考えはなかったのか?など色々と考えてしまいました。

話は少しそれますが、私は弁証法を意識するようにしています。
弁証法は「対立や、ある主張とそれに矛盾する主張を合わせる事により、より良い結論へ導く思考」というものです。
哲学者ソクラテスやプラトンが用いた問答法が起源とされますが、近代ではヘーゲルが
唱えた、「ある主張とそれに矛盾する主張を合わせ、双方の主張を否定せず高次な結論を導き出す」とされています。

弁証法的な思考を学ぶうえで、よく例にあげられるものをひとつご紹介します。
対立したり矛盾したりする事柄と言えば、「経済と環境問題」
経済発展には環境破壊がついて回り、環境問題ばかり言っていれば、経済は停滞する。
では…どうするか?
導き出した答えは、「ハイブリッドカー」を開発・市場導入し、地球にやさしい、なおかつ今後の経済発展が見込める分野の構築ということです。

そんな弁証法的な思考を、時間がある時に、娘と遊びに使っています。
例えば、正「大豆(豆)が食べたい」反「歯が悪いので食べられない」と娘に問い、
「さぁ答えは?」との私の問いかけに対し、娘が、合「豆腐を作って食べる!」のような、ちょっとした「とんち」遊びみたいなものでしょうか。
弁証法などと、たいそうなネーミングですが、私たちの生活の中にいつもある、「あっちを立てればこっちがたたず、こっちを立てればあっちがたたず」
だから「さぁ、両方立てて、新たな答えをつくりだそう!」みたいな感じです。
ただし、ひょっとするとこの思考は、問題山積みの現代には、非常に必要かもしれません。

さて、話を戻し「麒麟がくる」に登場した、明智光秀・織田信長・豊臣秀吉。

劇中では、「周りの期待を背負い、自身の誇りと正義の為、歴史に残る謀反を起こした光秀」

劇中では、「期あらば、迷いなく行動に移す力、己が決めた事をやり抜く、勇ましい信長」

劇中では、「自身の生い立ちから360度様々な角度で、物事を見つめ振る舞う秀吉」
(「麒麟がくる」の秀吉は少々ダークな感じでしたが、実際も近いかもしれませんね^^)

後に、豊臣秀吉が天下統一を果たすのですが、晩年、秀吉が信長の事を語ったとされる言葉に、「信長公は勇将であるが良将ではない」という言葉があります。

ここからは、文献にないので私の想像ですが、ひょっとすれば秀吉は、光秀の事も
「光秀殿は良将であるが勇将ではなかった」と思っていたかもしれません。

そしてその秀吉は「勇将であり良将であり治将であるべき」(治将は私の造語ですが<(_ _)>)と答えをだしていたのかな?と勝手に想像してしまいます。

恵まれぬ生い立ちから、周りを見、相反するものを見、その中で自身が「合」の答えを導き出したと考えられる豊臣秀吉。
その事に精進した秀吉の天下統一は、必然だったのかもしれません。

「歴史の真実は闇の中」と言いますが、歴史の結果はみんな知っています。
真実と言い切れないのは、結果に至るまでの過程です。
そしてその過程を、現代の歴史学者さん達が、残っている史実と史実を組み合わせ、
様々な解釈で、結果に至るまでを組み立てて行く。
しかも、その組み立ては、見方や考察によって幾通りにも広がって行く。

そう考えると、やはり先人に学び、先人を考える事は非常に面白く
有意義な事のように思います。

何はともあれ「麒麟がくる」・・・最高でした!!



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