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「KANO~1931甲子園まで2000キロ~」
2024-08-02
先日、坊ちゃん劇場で公演中のミュージカル
「KANO~1931甲子園まで2000キロ~」を
観劇してまいりました。
舞台は1930年、日本の統治下にあった台湾。
漢人、原住民族、日本人の三民族混成チームであった
弱小台湾嘉納野球部を、かつて松山商業を6度の甲子園
出場に導いた名将、近藤兵太郎が指揮を執り、台湾代表
として日本の甲子園に出場、そして決勝まで勝ち進む
軌跡をたどる、実話に基づいたミュージカルです。
日清戦争に勝利した日本が、台湾の統治権を得てから
35年。
台湾の近代化に大いに寄与したという時代でもあり
現代でも当時の日本の統治が評価され、台湾の方々
には親日家が多いとされている反面、
やはり当時は統治する側される側の人間関係が存在し、
統治するべくしてやってきた移住者側の日本人と
原住民の台湾の人々では、当時多くの軋轢を生んで
いたことは容易に想像がつきます。
そのような時代でもある嘉納野球部高校生達の気持ちや、台湾の人々の感情をミュージカルで感じられる作品。
台湾から甲子園まで2000キロとのことですが、
距離以上に、遠く遠い道のりであったであろう
彼らの時代背景などに思いを馳せるにあたり、
今一度、歴史を振り返る必要がある事を
考えさせられました。
日本の統治下にあった彼ら高校球児たちが、
どのような思いで日本の本土にある甲子園を目指し、
甲子園の土を踏み、故郷台湾へどのような思いを寄せ
プレーしていたのかを想像すると、
終幕の時、目頭が熱くなりました。
終盤、その後の彼らの歩みをナレーションで
知ったのですが、嘉納野球部の主要メンバーである
エース「林明訓」は、日本の名門大学早稲田大学に
進学し、野球部で数々の記録をつくり台湾魂を
日本の地に刻んだとのこと。
また、女房役であるキャッチャー「ラチャイ」は
台湾で野球の指導者となり、後進の指導にあたったそうです。
そして守備と攻撃の要であった「周大成」は、
第二次世界大戦末期、日本軍への従軍に自ら志願し、
命を落としたそうです。
当時は、自らが志願せざる負えない状況だったのか、
それとも日本に対し何か特別な思いがあったのか、
今となっては、我々には知りえる事はできませんが、
同じ志で学生時代を過ごした三者三様の未来にも、
考えさせられる事がたくさんあります。
今まさに、平和な世の中で高校球児が甲子園を
目指し、頂点を目指すために白球を追いかけ
全力でプレーしています。
高校球児たちの汗と涙は、いつの世も私たちに
感動と勇気を与えてくれます。
昨今、世界に目を向けると混沌とした世になりつつ
ありますが、今回本作品を観劇したことで、
今では過去となった人々が抱いた葛藤や
悲劇、そして過ちに触れることで、現代の当たり前の
営みに感謝する機会となりました。
「KANO~1931甲子園まで2000キロ~」
暑い夏にぴったりのミュージカルです!